映画『恋人たち』監督:ルイ・マル、1958年

パリから約300キロ離れたディジョンに住み、地方の新聞社主の妻として何不自由なく暮らしているジャンヌ(J.モロー)は、夫や子どもに愛されながらもパリの華やかな暮らしにあこがれ、友人を通じてポロを趣味とするラウールと知り合い、ラウールからの積極的なアプローチもあり恋仲となる。
彼女は、夫からの奨めもあってラウールと友人をディジョンの自宅へ招くこととなるが、パリからの一人で帰る途中に車が故障し、考古学者のベルナールに同乗してディジョンまで戻ることとなる。
ベルナールも伴ってその夜自宅で晩餐が行われるのだが、ジャンヌはその夜寝付くことができなかった。

恋人たち [DVD] (HDリマスター版)

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■感想(個人的評価:★★★−−)
ストーリーとしてはありきたりかもしれませんが、展開は意外で、また明けきらぬ夜の美しさは見事です。この美しさはモノクロ映画でなければ表現できないのではないでしょうか。この美しい夜は二度とないかもしれない、後悔はないが不安に満ちている心の動きの描写についても面白く、これをJ.モローが巧みに表現していたと思います。

バレエ『白鳥の湖』ボリショイバレエ団


今シーズンのボリショイバレエ団のライブビューイングの最後を飾るのは『白鳥の湖』でした。とりわけオデット/オディールがスヴェトラーナ・ザハーロワです。これは見逃せない公演と思いました。
振付は、ボリショイバレエの定番ともいえるグリゴローヴィチ版です。どちらかと言えば白鳥ではマイナーな「悲劇的な」結末の演出です。
それで見てきたわけですが、内容は期待を上回るすばらしいものでした。寸評を以下に書きます。

  • ジークフリート王子(デニス・ロヂキン):パ・ド・トロワから始まり最初から最後まで出ずっぱりでしたが、力を最後まで保ち続けました。柔らかく高いジュテが見事でした。王子らしい気品がありました。哀愁を帯びた表情もよかったのでは。
  • 道化師(イゴール・ツビルコ):憎めないキャラクターで、動きも非常に大きい。第1幕、第2幕(4幕構成版の第3幕)と存在感があり、細やかな演技も決まっていました。
  • 悪魔(アルテミィ・ベリャコフ):通常版のロットバルトですね。力強い邪悪さをふんだんに醸し出していました。存在感が際立っています。
  • オデット/オディール(スヴェトラーナ・ザハーロワ):ザハーロワの白鳥は何度も見ています。円熟味が増しましたがザハーロワらしい若々しい気高さは健在です。テクニカルな面で少し力の衰えかもしれないところもあったかもしれませんが、表現力がきわめて高いダンサーです。
  • 演出(グリゴローヴィチ版):これは結末も含めてとても好きなバージョンです。ロシアバレエらしさがあり世界一の白鳥と言えると思います。第二幕のディベルティスマンもロシアの踊りが入り、しかも王女たちがメインで踊っていました。これも大変良かったと思います。通常だとイワノフの振り付けた場面は少し冗長さを感じることもあるのですが、まったく飽きさせない構成でした。

「脳がよむ・かく」(UTokyo OpenCourseWare 学術俯瞰講義)【情報<よむ・かく>の新しい知識学 第2回】東京大学大学院総合文化研究科 酒井 邦嘉

■内容

  • 読書を通して、言葉の意味を補う「想像力」、思索に耽ることで、自分の言葉で「考える力」が自然と身に付く
  • 言語能力を鍛えるには、入力は適度に少なく、出力はできるだけ多くするとよい。創造力こそは人間らしさでもある。
  • 言葉で表現する場合は、書ける力がまず先にあって、次いで話す力につながっていくことが順序としてある。一方で、筋道立てて説明する場合は、話す力(相手の反応を含めて)がまず先にあって、書く力につながっていく。
  • 生涯に渡る読書や学習の蓄積が脳を創る(効率とは全く関係ない)。自分の中だけの思考には限界があり、著者との対話がある読書に意味がある。

■感想

  • 脳は、補完や思考を通じて鍛えられていく。これをさらに具体的な方法論に高めていければ面白い。
  • 例えば反復の重要性をふまえた方法論、情報の取捨に関する方法論などがさらに聞きたいと思われた。

■講義動画
http://ocw.u-tokyo.ac.jp/video-detail?id=1275&r=1118889152

■参考文献

脳を創る読書

脳を創る読書

「まとめ 新しい世界史へ」(UTokyo OpenCourseWare 学術俯瞰講義)【「世界史」の世界史 第13回】東京大学教養学部 後藤 春美

■内容
1.これまでの講義まとめ

  • 日本における「日本史」(松井洋子先生)
    • 前近代日本における歴史叙述は中国にならい、支配権力による正史編纂こそが歴史だった。
    • 18世紀ころからは家・村・地域の歴史をかたることも行われるようになった。
    • こうした伝統が近代歴史学に引き継がれている。
  • 「正統」の歴史と「王統」の歴史(杉山清彦先生)
    • 中国におけるもともとの「歴史」とは、支配の正当性を示す主張であり、実証とは関係なかった。
    • 正史とは正統の歴史であり、国民の歴史とは異なる。一方では、中国は、領域が曖昧であり、国民という概念を固めること自体が難しい。
    • 中国における天命、天子、王統の系譜などの概念は中央ユーラシアに起源を持っている側面もある。
  • ヨーロッパにおける「歴史」の誕生(西川杉子先生)
    • 近代歴史学以前のイングランドでは、聖書に起源を持つ考え方が支配的で、またストーンヘンジなどを巨人の仕業と考えていた。
    • イングランドでは、16世紀になり、ルネサンス宗教改革の影響を受けて、17世紀にかけて近代歴史学が成立した。
    • 古いものを集め、考えるということが行われるようになった。近代科学の考え方、よく見て記録する、という考え方を歴史学に適用していった。
    • ナポレオン戦争を受け、侵略された国では、一国の歴史というものを求めていく姿勢が強まり、ランケ、リースの歴史学につながっていった。

2.羽田正『新しい世界史』第3章

  • 羽田正は、国民国家の歴史に偏り過ぎると、国家間の対立を激化させるものになりかねないとして、地球市民のため、「世界はひとつ」を旨とする新しい世界史の方向を模索している。
  • 方向性としてのグローバル・ヒストリーは、英語圏で成立し、その世界観が反映してしまっているという欠点がある。
  • 中心性を排除し、関係性を重視する歴史学へ。中心性という点では、ヨーロッパという言葉には、いろいろな価値判断が付加されてしまっており、好ましくない。(しかし、一方で地域としてのヨーロッパはあるのでこれは無視できない。)例えば、モノの世界史(川北稔『砂糖の世界史』)や、海域世界史(ブローデル『地中海』)などは先駆的な取り組み。

3.若干の考察

  • 新しい世界史は、まだ問題提起の状態。これからの取組が必要。
  • 歴史学の基本は実証であるということはこれまで担当した教官の共通点。主張ではない。
  • 自分の研究のみならず、先行研究の成果をバランスよく踏まえた共同研究が必要。

■感想

  • 一つひとつの個別の実証の取組が否定されるわけではなく、これらを土台として、どう捉え、考えるかという部分が新しくなり、また補完するような研究がなされていくということだろう。
  • われわれの意識を変える、という点では、新しい考え方の枠組みに沿ってつくられた画期的な大作(例えば『地中海』のような)が求められているのかもしれない。

■講義動画
まとめ 新しい世界史へ Summing Up: Towards a New World History | UTokyo OpenCourseWare

■参考文献

砂糖の世界史 (岩波ジュニア新書)

砂糖の世界史 (岩波ジュニア新書)

〈普及版〉 地中海 I 〔環境の役割〕 (〈普及版〉 地中海(全5分冊))

〈普及版〉 地中海 I 〔環境の役割〕 (〈普及版〉 地中海(全5分冊))

「近代を超越して新たな世界史を描く」(UTokyo OpenCourseWare 学術俯瞰講義)【「世界史」の世界史 第5回】東京大学文学部東洋史学研究室 島田 竜登

■内容
1.歴史学の手法としての関係史

  • 「比較」と「連関」は、グローバルに物を考えようとするときの代表的な手法である。今回の講義では「連関」を中心に考える。
  • 地域間、国家間などでお互いにどう影響し合ってきたのかということを考える。制度、軍事、経済、技術、宗教、文化、社会、芸術などがポイントとなる。
  • しかし、二地域間であればまだ単純だが、さらに多くの地域の連関を見ようとするのは困難である。(星型モデル、関係性が複雑化する。)
  • ウォーラーステインは一つの事例。中核(オランダ→イギリス→アメリカ)、半周縁(スペイン、ポルトガル)、周縁(東ヨーロッパ、新大陸)の三層構造で捉える。そのほか外部世界(日本など)がある。中核→半周縁→周縁が一つの経済域として完結し、そしてそれが拡張していき、外部世界を取り込んでいくという見方。
  • これについて、フランクは西洋中心主義として批判し、アジアを中心としてとらえる世界観を示した(1998年)。豊かなアジアに新規参入者として一時的にヨーロッパが現れたと説明する。
  • 関係史には、双方向性を描き出せるか、また多角的関係を描き出せるかという課題がある。例えば「自由」の概念、これはヨーロッパ固有のものとされているが、アジアにもあったのではないか、そしてヨーロッパに影響を与えていなかったのか。また、検討すべき対象が複雑であるため焦点を絞ってしまいがちとなる。

2.グローバル・ヒストリーとは?

  • 水島司はグローバル・ヒストリーという切り口を提示している。平面上ではなく、球状であることを意識した研究スタイルをとっている。
  • 一つ目は、比較的長期を対象として研究するもの。例えば、ジャガイモの伝播(オランダ植民地であるジャカルタから伝わったジャガタライモ、簡単に栽培でき、人口維持能力を持つ。)、銀の国際的流通(日本、チリから各国へ貨幣として流れていき、経済を発展させた。)など。
  • 二つ目は、気候変動などまさにマクロで球状の地球をとらえるもの。
  • 三つ目は、西洋文明や資本主義の伝播などグローバライゼーションをとらえようとするもの。これが一番多い。

3.最後のまとめ

  • 歴史学はまず史料分析から始まる。理論ありきではない。逆にフレームワークを作った時点で結論が決まってしまうことがあるので注意しなければならない。
  • 一方では、何のために研究しているのか、という視点がないと史料は何も語らない。
  • グローバル・ヒストリーはどこまで有用性があるのか、まだ未知数である。

■感想

  • ズームインするとでこぼこして見えるものが、ズームアウトすると平たんにみえるものだが、そうしたことが比較史においてもあるのかも知れない。要は、当然のことながらどこに視座を置くかによって見え方が違ってくるわけで、自分がどこまでズームイン、ズームアウトしているのか、するべきかということを知る必要がある。
  • グローバル・ヒストリーの有効性ということでは、この講義を聴いた印象としては、対象が限られているようにも思われた。ズームアウトしすぎて、地球上に大河や山脈しか見えなくなる、というイメージ。

■講義動画
近代を超越して新たな世界史を描く Describing a World History that Transcends the Modern Era | UTokyo OpenCourseWare

■参考文献

リオリエント 〔アジア時代のグローバル・エコノミー〕

リオリエント 〔アジア時代のグローバル・エコノミー〕

グローバル・ヒストリー入門 (世界史リブレット)

グローバル・ヒストリー入門 (世界史リブレット)

映画『アルプス 天空の交響曲(シンフォニー)』監督:ペーター・バーデーレ、セバスチャン・リンデマン、2014年

アルプスの見せるさまざまな表情、人や動物の営み、都市やリゾート地などの姿を特殊な空撮用の機材を活用して撮影したドキュメンタリー作品。

■感想(個人的評価:★★★★−)
この映画は、上空からひたすら撮影(一部地上からの撮影もあり)するものなのですが、空撮と言っても、かなり地表面に近い地点からの撮影で、通常は見ることのできない位置から俯瞰するものでとても印象的な美しい風景をとらえていました。とりわけ、朝の光に輝く山頂の十字架や星に埋め尽くされる夜の眺めは美しく、また峨々たる山肌、巨大な氷河の姿など圧倒される映像でした。

映画『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ、2014年

かつて『バードマン』という映画に主役で出演し、大きな興行成績を上げた俳優リーガン・トムソン(マイケル・キートン)だが、最近はヒット作もなく、ニューヨークで薬物依存症の娘サム(エマ・ストーン)と細々と暮らしている。
彼は、かつての栄光を取り戻すため、ブロードウェイで自作の脚本で自身も主役を演じる演劇を上演したいと考え、稽古は大詰めを迎えているが、重要な配役が舞台上の事故で出演できなくなってしまう。スタッフは慌てて代役を探し、マイク・シャイナー(エドワード・ノートン)が急きょ選ばれる。しかし、プレビューでは代役のマイクが勝手な行動をとり、散々な結果に終わってしまう。
そんな中、彼の頭の中では、かつて自身が務めたバードマンが彼を嘲笑する言葉に悩まされるようになり、また、彼の舞台を伝える新聞記事はマイクを主として伝え彼の存在を半ば脇に置いてしまい、SNSでは彼の醜態が流されて拡散していく。ブロードウェイの興行成績に影響力を持つ批評家も、彼を過去の映画人として、演劇の才能については酷評する記事を書こうとしている。

■感想(個人的評価:★★−−−)
この映画、なかなかとらえどころが「ない」というのか、どんな切り口で見ていけばよいのか迷う映画でした。固定したカメラを夜から朝まで長回しにすることで、ニューヨークらしい街の息遣いはよく表現できています。また、かつて大きな栄光を勝ち得た存在だからこそ、現在の落ちぶれた境遇の中で、繰り返されるバードマンの嘲笑と葛藤する姿にはリアリティがあります。
しかし、一方でこの映画で取り上げられるリアルの演劇と、バーチャルのSNSとの対比自体にはあまり大きな意味は感じられず、正直なところストーリーの描き方自体にもあまり感心はできませんでした。ドラムのやたらと大きな音響とサムのこぼれ落ちんばかりの大きな目が印象に残りました。