オペラ『マリア・カラス 伝説のオペラ座ライブ』


この作品は、マリア・カラスについて唯一に近い形で残っているオペラの歌唱シーンをリマスターしたフィルムで上映するものです。
時は1958年、パリ・オペラ座マリア・カラスが34歳でデビューした公演(大夜会)を収めたフィルムです。
フランス大統領のルネ・コティをはじめ、ブリジット・バルドーチャップリンなど多くの有名人が参加して行われ、チケットも一人2万フランとのことですから、当時の換算レートだと150万円という信じられないような金額となります。列席する観客たちは男性はタキシード、女性はドレスでそれは華やかな場を作り出していました。

まずはヴェルディ運命の力』序曲が演奏され、つづいて幕が開くと、パリ・オペラ座合唱団を従えてカラスが登場します。そして演奏されたのはベッリーニ『ノルマ』の「清き女神」でした。この曲を歌わせたらカラスの右に出る者はいません。また、歌いながら見せる魅惑的な表情もカラスならではのものです。大いに聴衆の喝采を浴びるカラス、続いて、イル・トロヴァトーレセビリアの理髪師からいくつかの歌曲を歌いました。

そして第二部は、プッチーニ『トスカ』第二幕です。これはオペラのセットを使った本格的な舞台で、カラスは前にもまして女優ぶりを発揮していました。そして最後に「歌に生き、恋に生き」を歌います。これも残された音源を通じて知るばかりだったカラスの声をたっぷりと映像付きで伝えてくれる見事なものでした。

たしかに映像自体はモノクロである以上にフォーカスが甘く、不明瞭な部分も多くありましたが、こうした形で再現されるということ自体が本当に貴重だったのではないでしょうか。会場のシネマライズには若い人も含めて多くの観客が訪れていました。

「比較史のなかの日本・アジア」(UTokyo OpenCourseWare 学術俯瞰講義)【「世界史」の世界史 第4回】東京大学文学部東洋史学研究室 島田 竜登

■内容
1.比較史とは何か

  • 「比較」と「連関」は、グローバルに物を考えようとするときの代表的な手法である。今回の講義では「比較」を中心に考える。
  • 比較はポイントを定めて検討を行う。比較は、単純に比較する手法、ある地域をモデルとした実用的な比較手法、また比較によって世界史を全体としてとらえるという方法がこれまで採られてきた。

2.事例としての比較経済史

  • ある国をモデルとして自国の発展段階を考える方法がよく利用されるが、日本では西洋をモデルとし、アジアでは日本をモデルとする方法が多くとられてきた。
  • 事例1大塚史学:近代とは何か、市民とは何か、ということをテーマにヨーロッパとの比較研究を行ったが、日本では近代化、市民が確立していない、このモデルとしてヨーロッパを研究した。
  • 事例2雁行発展モデル:赤松要、小島清など。途上国が先進国を追って発展する。その過程で労働集約から資本集約が進み、輸入代替を実現して輸出志向が進む。日本はアジアの先行者としてアジアNIEsASEAN、中国をけん引する。
  • ルックイーストという政策もあったけれども、アジア諸国にとってどこまで日本がモデルになっているかという議論はある。

3.これまでの比較史研究の問題点

  • モデルとして西洋や日本が常にモデルとなりうるのか。
  • 一国を単位として比較を行うこととした場合、そもそも国どうしは相互に影響し合っているのではないか。例えば宗主国と植民地など。
  • 経済的な数量等で優劣を競うということ自体がおかしいのではないか、あるがままにとらえるべきではないか、という視点も台頭してきた。トイレに紙がない社会、服を着ない社会だってあるが、これは合理性を備えている、遅れているとは言えないはずだ。
  • 一つのヒント:オランダ東インド会社、長崎出島の奴隷(インドネシア人)。史的唯物論からすると奴隷(古典古代)ではない?←おかしい。奴隷にもさまざまな形態、肉体労働→召使的性格。バタヴィアはヨーロッパそのものではなくアジアそのものでもない。

■感想

  • こうした形で歴史学を俯瞰することで、今まで頭の中で渾然としていた歴史像が少し明確な形を帯びてくる。
  • いろいろな形の歴史研究はあるが、何らかのパターンに依拠して形成されており、それぞれのパターンに基づく限界があること、また、それぞれは共通語をもしかすると持たないのではないかということである。

■講義動画
http://ocw.u-tokyo.ac.jp/movie?id=1083&r=356741773

「実証すること、法則を見出すこと」(UTokyo OpenCourseWare 学術俯瞰講義)【「世界史」の世界史 第3回】東京大学文学部東洋史学研究室 島田 竜登

■内容
1.「近代歴史学」と実証主義

  • 近代歴史学実証主義に基づいて構築されている。実証とは、「ある対象の過去の姿を、時間軸に沿って実証的に整理・確定して示す」であり、「厳密な史料(文献・文字・記録・画像など)批判・解釈によって過去をあるがままにとらえようとする」(羽田正)である。
  • これは、ランケの弟子のリースが持ち込んだ考え方であり、その後の歴史学研究を支配することとなった。西欧では、「近代歴史学」と取り立てて言われることはない、日本特有ともいえる。
  • しかし、実証は万能か?というと、1.史料を集めることの困難さ、2.因果関係の説明にあたっても推論は行わざるを得ないこと(どんな意図で?)、3.このため完全に客観的であることは不可能 である。
  • 基本は実証主義だが、叙述には個性が出る方が歴史学の面白さともいえる。

2.法則定立型歴史学

  • なぜ歴史を研究するのか?好きだから、成功と失敗の歴史に学ぶ、法則をとらえて将来を予測する、将来をよい方向に導く、など。
  • 実用主義は排除し、実証主義に徹するのがランケ以来の歴史学だが、事実上歴史学の研究において実用主義は多かれ少なかれ意識されている。
  • これまで、歴史の法則としてリスト、ヒルデブラント、ロストウが発展段階論を提起してきたが、もっとも歴史家に対して影響を強く与えたのはマルクス史的唯物論である。(生産様式:アジア的→古典古代的→封建的→資本主義的(→共産主義))生産力と生産様式・生産関係で説明している。生産力は常に発展するが、生産様式(社会システム)はすぐには変わらず、そして矛盾が高まり、転機を迎え、革命により様式が変わる。
  • しかし、これも限界がある。西欧のモデルとはなってもその他の地域に適用可能かどうか、また、「アジア的生産様式」はそもそも分かりづらい、共産主義の失敗など。法則定立的歴史学は、考え方は分かりやすく補助手段にはなりうるが、すべてを説明できることはできない。
  • 実証主義と法則定立型のミックスでこれまで歴史学は構築されてきた。
  • 法則は非常に興味深い。そしてそこからどう逸脱しているのかを見るのも面白い。
  • 法則を意識するとき、現在と過去のつながりを意識することになる。しかし、一方では対比を意識して提示する研究のあり方もある。

■感想

  • 歴史学とはどうあるべきか、というのは難しい問題だが、人間はまずは自身が生きるというところをもっとも重要な要素として動いている。ここに着目すると、ある意味ではアナール派のような「変わらないもの」を中心に据えながら変化を追う歴史への視座が生まれてくる。
  • 法則は重要だが、法則ありきでは歴史の把握が明らかにおかしくなる。この危うさが歴史学には常に付きまとっている。

■講義動画
実証すること、法則を見出すこと Verifying and Discovering Laws | UTokyo OpenCourseWare

「近代歴史学と世界史」(UTokyo OpenCourseWare 学術俯瞰講義)【「世界史」の世界史 第2回】東京大学東洋文化研究所 羽田 正

■内容
1.過去と現代における過去の見方

  • 聖書:これは、当時の人々の歴史観を表している。世界は神が作ったものであり、そしてその意思に基づいて破滅を迎える。300年前はそう考えられていた。コーランもまったく同じ認識に基づいており、当時の人々の考え方の基礎をなしている。
  • 私たちの時代には、独自の過去の見方=近代歴史学がある、それは歴史学者が一致の手法に従った整理解釈した過去の姿である。

2.近代歴史学の成立と特徴

  • 19世紀のフランス・ドイツにおいて近代歴史学が成立した。これまで絶対と思われていた聖書を相対的・批判的に見る態度が生まれた。
  • 近代歴史学は、啓蒙思想と理性の重視、人類は進歩するという考え方に拠って成立している。(ランケ(1795-1886)近代歴史学の父、ヨーロッパ中心の歴史観、ヨーロッパのみが進歩し、他の世界は「停滞」している。ミシュレ(1798-1874)、フランスという国民国家の歴史を初めて叙述。)
  • 近代歴史学は、国の単位で考える、厳密な史料批判により過去を「あるがままに」とらえる、進歩の尺度(文明、未開、野蛮)で考える。国の単位で考える、ということは、国への帰属意識を高めることにもつながる。
  • 文系の学問はそれぞれ似たような背景を持っている、法学、哲学、神学など過去から存在する学問、政治学、経済学、社会学など進歩し、普遍性を持った社会を理解する学問、非ヨーロッパを理解する東洋学、人類学。

3.近代歴史学の日本への導入

  • 19世紀になり、ヨーロッパが世界進出し、非ヨーロッパ地域において「近代化」への取り組みが始まる。(政治・社会制度、科学技術、学問)
  • ヨーロッパの模倣により非ヨーロッパ地域の近代化が始まるが、近代化にはその国にそうした考え方を受け入れる素地があったからこそ取り入れることができた。
  • 日本の歴史叙述は、『日本書紀』から『大日本史』の伝統があり、文献考証と国家史をすでに行っており、近代歴史学を比較的柔軟に取り入れることができた。
  • 東京帝国大学に史学科が生まれる(1887)が、ここで教えられていたのはランケ門下のルードビッヒ・リースによるヨーロッパ史。二年後には国史科ができる。日露戦争に勝利後に、東洋史を日本が東洋のリーダーとして存在する必要から学科が設置され、国家プロジェクトとして研究していくこととなった。
  • その後、この日本史、東洋史西洋史の学科区分はそのまま引き継がれ、世界史は生まれなかった。
  • 世界史は、マルクス主義歴史学の前提としては意識されるようになった。しかし、ヨーロッパを最先進地域として認め、アジアを見るという偏った見方になりがちだった。
  • 中等教育では、日本史と世界史に分けられ、文明や各国の歴史を束ねたものが世界史ということになった。

■感想

  • 例えば、熱心な宗教信者について冷ややかに見るわれわれも近代に特有な思考の枠組みに「とらわれて」おり、それをすべての思考の出発点にしているところで、あまり変わりはないのだと言える。
  • いかに今まで作られた考え方の枠組みというものに安住しているか、ということを感じさせられる。人間は枠組みの動物であり、枠組みの多くは与えられたものに過ぎない、ということが分かる。
  • 経済学について、例えば「後進地域」の理解には役に立っていない、また研究対象にすらしていないということもそのとおり。

■講義動画
近代歴史学と世界史 Modern History and World History | UTokyo OpenCourseWare

■参考文献

歴史学入門 (岩波テキストブックスα)

歴史学入門 (岩波テキストブックスα)

新しい世界史へ――地球市民のための構想 (岩波新書)

新しい世界史へ――地球市民のための構想 (岩波新書)

貧困の克服 ―アジア発展の鍵は何か (集英社新書)

貧困の克服 ―アジア発展の鍵は何か (集英社新書)

「世界の世界史」(UTokyo OpenCourseWare 学術俯瞰講義)【「世界史」の世界史 第1回】東京大学東洋文化研究所 羽田 正

■内容
1.歴史の種類

  • 存在としての歴史:実態としての歴史。歴史そのもの。
  • 記録・叙述としての歴史:文字で残された歴史。叙述:過去をよみがえらせる。一方で書かれなかったものもある。歴史家の叙述と小説・ドラマはどう違うのか。小説・ドラマは何を作っても構わない。歴史学者は、残っているものを根拠に叙述する。
  • 高等学校で教えられる日本史と世界史:なぜ日本史と世界史の二本立てなのか。世界ではほとんど中高等教育において歴史教育が行われているが、こうした形式で教えているのは日本だけである。
  • われわれは、こうした教育を通じて、世界をいくつかの地域に便宜的に分け(四大文明イスラーム世界、地中海世界など)理解するようになっている。しかしこれが妥当なことなのか?

2.世界各国での歴史教育

  • フランス:単に「歴史」(Histoire)と称された教科を学習する。フランス史などではない。世界>ヨーロッパ>フランスといった構図。日本はほとんど出てこない。つまりフランス人はほとんど日本のことを知らないということ。しかし、日本人はフランス史のことをかなり勉強している。
  • イラン:「イランと世界の歴史」。イランの歴史を中心に世界の各地域の歴史に及んでいく。日本の歴史に近い姿だが、日本のように世界を各地域に分けるということはしていない。
  • 中国:「世界通史」。中国のことが一切出てこない。中国史については、別に学ぶようになっている。中国は独自の発展をしてきたという意識を持っている。
  • 台湾:「歴史」。台湾史、中国史、世界史
  • 日本との相違点:ヨーロッパ諸国は現在のわれわれを知るために、というスタンスで構成されており、関わりのあることを中心に書いている。アメリカでは、くっついたり離れたりする各世界というとらえ方をしている。

3.世界史に関わる問い

  • 世界史とは何か?:「世界史」という捉え方自体がとても現代的。300年前にはそうした考え方がなかった。
  • 誰が世界史を書いたのか?:これは次回に検討したい。
  • なぜ世界史を学ぶのか?:自分で考えてほしい。

■感想

  • ブローデルは、生涯を通じて地中海の歴史に取り組み、最後にフランスの歴史を自らのスタイルで叙述することに取り組もうとしたことが思い出される。歴史をどう学んできたかは、歴史研究の姿にも大きな影響を及ぼしているはずだ。
  • アメリカの研究者は、アメリカの研究スタイルで比較的よく日本を研究している。これも同様に少なからず歴史教育が影響を与えているところが大きいのではないか。
  • なぜ、世界史を学ぶのか。地理・気象・植生、言語構造・文化、生活・慣習など大きく異なる世界がどこまで参考になるのか。また、歴史は「教訓」なのか。「よき方向」ということをとってみても解答は短期、中期、長期で異なるだろう。したがってある選択された価値基準の中での「よき方向」でしかないはずだ。
  • 学ぶ理由としては、われわれ自身をよりよく理解するため、相対化して今いる立ち位置を見定めるためとしかいいようがないのではないか。

■講義動画
世界の世界史 World History throughout the World | UTokyo OpenCourseWare

バレエ『ロミオとジュリエット』ボリショイバレエ団


全体を見ての個人的印象です。
これまで見た『ロミオとジュリエット』のなかでは一番だったのではないかと思います。
演劇的なバレエで、その演劇性をうまく各ダンサーが表現していました。
ティボルト役のミハイル・ロブーヒンはその点非常に効果的に演じていたと思います。
ジュリエット役のアンナ・ニクーリナもこの役に適しているし、見事に踊っていたと思います。

『吉本新喜劇』なんばグランド花月


なんばグランド花月、初めて行きました。
南海の難波駅から近いんですね、細い商店街を通るとすぐに到着しました。
前半は、漫才や落語、後半は吉本新喜劇となります。
落語は、桂小枝さんも月亭八方さんも枕だけで笑わせていました。
漫才はさすがに大阪ですね、中川家中田カウス・ボタンなど、独特のうまさを感じます。
新喜劇は、残念ながら期待はずれでした。昔ながらの部分と最近の芸人さんの部分がミックスされているんですが、とくに楽屋落ちはいらないですね。